
今日は、いよいよ、みんなでベルリンへ遠足の日です(^O^) ライプツィヒからは思っているより近く、なんと電車で1時間半で着いてしまいました。こちらの電車は、取り方次第では値段が全然違って、とても安いチケットを買うことが出来ました。ただ、時間が決められてしまうので、タイムリミットがあるので、大急ぎで回らなければならないのが残念ですが、、。
最初の写真は、新しく出来た、ベルリン中央駅です。物凄く広いのと、出来たばかりだから、ということもあって、最初は、出迎えに来て下さったベルリン側の方達と、うまく会うことが出来ませんでした。迎えに来て下さったのは、善彰ちゃん、善彰ちゃんのママ、そして、今、ベルリンで勉強している、高橋なぎさちゃん、そしてなんと、津田裕也君も来て下さいました。日本での知り合いにベルリンで合う、というのは、ちょっと変な気分、、、(^_^;)でも、再会出来て嬉しかったです!
今日は、時間が短いので、テーマを決めて、ベルリンの壁について町をまわることにしました。では、いざ出発!w(^o^)w

まず、駅から徒歩でブランデンブルグ門まで行くことになりました。私は、演奏旅行で、まだベルリンが西と東に分かれている時代にも来たことがあるのですが、壁の近くに行くのは今回が初めてです。その時は、東ベルリンでの演奏でしたが、その当時は、ポーランドやチェコなど東側の国に演奏旅行に行くのとかわりない気持ちで行っていました。
写真は、駅から10分くらい歩いたあたりです。ずっと色が違う部分があったのでなんだろう、と思っていたら、まさにこれが壁のあった部分だと聞いて、こんな駅の近くに、もう壁があったんだ、と驚きました。それにしても、綺麗に変わってしまっていて、壁があったということは、今では全然わからないくらいです。

う少し先へ行ったところに、ズラっと並んでいた、壁を越える際に亡くなった方達の名前と写真。

旧西側から見た、ブランデンブルグ門の裏側。

旧東側から見た、ブランデンブルグ門。西側から見るのと、随分違いますね。
門の先、見渡す限り何も見えないのも凄いなぁ、と思いました。日本なら、絶対、なんかのビルが見えるはずですもんね。

手前の点線のような埋め込みより向こうがアメリカ側、こちらがロシア(その当時はソ連)側。

ここに記してあるように、壁があったのは、1961年から1989年、という期間だったと知って、また驚きました。恥ずかしいことに、私は、壁は、もっと前から100年間くらいあったのかと思っていました。よく考えたら、第二次世界大戦の後なんだから、そんなに長いわけではないのに、なんか気分的には、物凄く長い間、東西に分かれていたように思っていました。

ベルリンシャウシュピールハウス(Schauspielhaus)。善彰ちゃんが、「先生、
ここで弾いたんだよ。」と言ったのですが、全然見覚えがなく、変だなぁ、と思っ
たら、裏の楽屋口から入ったので、表は知らなかったようです。こんなに立派な
建物だったんですね、、、(~_~;)
このあと、ちょっと先にある、「壁の博物館」に行きました。ここは撮影禁止だったので、写真はありません。逃亡に使った際の本物の車や気球など、いろいろ展示してありました。私が思っていたより成功した方達は多く(5075件と書いてありました)地下から穴を掘った人、川をスキューバダイビングのように潜って渡った人、車のトランクの下に隠れていた人、など、いろんな工夫をして逃亡したんだなぁ、ということがよくわかりました。みんな、離ればなれになった家族や恋人に会うために、命がけで逃げたんだなぁ、と感銘を受けました。成功した方のほうが圧倒的に多かったのが、ちょっと驚きでした。

博物館に行ったあと、今度は電車に乗って、実際に壁が残っている所へ行って来ました。いろんな落書きがしてありました。また、思い違いがあり、思っていたより低く薄かったです。でも、一つ越えればいいのではなく、まず、東側の壁を越え、川を渡り、今度は西側の壁も越えなければならず、本当に大変だったんだそうです。川幅も、今は遊覧船が悠々とはしっているくらいだから、相当な距離だと思います。監視の目も厳しく、本当に大変だったと思います。

カメラで撮るのは難しいのですが、ず~っと遥か彼方まで続いていました。

善彰ちゃんがコンサートマスターをしている、新ベルリン交響楽団の定期演奏会の場所。赤い市庁舎って言ってたと思う(^_^;) 善彰ちゃん、ごめんなさい(>_<)
3月に、このオーケストラと一緒に演奏会が出来て、善彰ちゃんのレッスンを受けられる、というセミナーがあるので、興味のある方は、是非応募してみて下さい。

テレビ塔。札幌じゃありませんよ(~_~;)

善彰ちゃんとママと。今日は、一日案内をありがとうございました!

土居幸子ちゃんと津田裕也君。